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〜これから競馬を始める人
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名馬とは |
このサイトの冒頭でも述べましたが、競馬は歴史も楽しむことが出来ます。
競馬の歴史とは仔に受け告げられる血統であり、名勝負のレース、強い馬の語り継がれる出来事などから成り立ちます。
その歴史の中心となるのが、紛れもない名馬たちのことです。
では、何を定義に名馬というのでしょうか?
強い馬=名馬だけが名馬でしょうか?
そうとは限らないあなただけの名馬もきっといるはずです。(まだの人はこれから出会うはずです。)
ここでは、あなたが競馬をしている時代に活躍した馬(=歴代の名馬)、強くはないんだけど大好きだった馬(=記録より記憶に残る馬)を一まとめにして名馬と定義し、幅広く、マニアックにご紹介していければと思っています。
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| 私の一番好きな馬 |
栄えある第一回目の名馬はミホノブルボンをご紹介します!
記念すべき第1回になぜ、「ミホノブルボン」を選んだのか。
それは、せっかくですから管理人が一番思い入れのある馬にしようと思ったからです。
名馬といわれている馬たちの中では、珍しい「逃げ馬」で、当時、後ろの馬の追随を許さないその走りにすっかり虜になりました。
それでは、最強の逃げ馬といわれたこの馬ですが、一体どの様な馬だったのでしょうか。
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| ミホノブルボン |
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生年月日:1989/04/25
性別:牡
戦跡:8戦7勝
主な成績:
・朝日杯3歳ステークス(G1)・フジテレビ賞スプリングS(G2)・皐月賞(G1)・日本ダービー(G1)・京都新聞杯(G2)・菊花賞(G1)
調教師:戸山為夫
主戦騎手:小島貞博
馬主:ミホノインターナショナル
生産:原口 圭二 |
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【経歴】
名馬といわれている馬たちの中では、珍しい「逃げ馬」。血統的には、良血といわれるものではなく、まさに鍛えられて強くなった馬。菊花賞までは無敗だった。(菊花賞はライスシャワーに負け2着、その後怪我を発祥し、このレースが引退レースとなってしまった。)
菊花賞の翌年の5月に肝不全によって死去。活躍していた年は、91/9〜92/11迄の約1年間のみ
産駒も数頭残している。
【この馬についての感想】
私が競馬を始めた年に活躍していました。個人的ですが、逃げ馬は大好きです。
逃げ馬の場合、ずっと先頭を走っているので(当たり前の話ですが)ほとんどの場合、一度も他の馬に越されずにゴールするわけです。ラストの直線はもう、はらはらドキドキ。
これぞ逃げ馬の醍醐味!
このミホノブルボンのレースの中で一番印象に残ったのが、三冠を目前にした菊花賞です。
私はこの時、ブルボンの三冠を疑ってはいませんでした。
結果、ライスシャワーに負けてしまったのですが、この馬の走りにはすっかり魅了されました。
次のレースが見たくてたまらない。こんな気持ちにさせてくれた馬です。
しかし、ブルボンの次の勇士を見ることが出来ませんでした・・・
まだ、8戦しかしておらず、これから古馬との戦いを楽しみにしていただけにショックでした。
このブルボンとの出会いが競馬の始まりであり、現在でも私が逃げ馬のファンな訳でもあります。
逃げ馬の何馬身も離して逃げるあの勇士に観客も盛り上がり、そんなレースを見ると、たまにブルボンを思い出します。
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| ハイセイコー |
【ハイセイコー】

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生年月日:1970/03/06
性別:牡
戦跡:22戦17勝
主な成績:
・弥生賞(G2)・フジテレビ賞スプリングS(G2)・皐月賞(G1)・宝塚記念(G1)
調教師:伊藤正美(大井)→鈴木勝太郎(東京)
馬主:王優/ホースマンクラブ
生産:武田牧場 |
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【経歴】
競馬ファンのみならず国民的な人気を集め、「第一次競馬ブーム」と呼ばれる一大社会ブームを巻き起こした。もともとは大井競馬場でデビューした地方馬。
デビューから6連勝したが、どのレースも馬が本気を出していなかったという怪物ぶり。
3歳にはホースマンクラブに5000万円で購入され、中央競馬への移籍。
中央初戦のレースは弥生賞で、見事優勝する。その後スプリングステークス、NHK杯、皐月賞と優勝し、ダービ(東京優駿)に望んだが3着に敗れる。
そのときの優勝馬は、タケホープ。
このタケノホープがハイセイコウにとっての永遠のライバルになる。
翌年、宝塚記念、高松宮杯を制したが、有馬記念が引退レースとなった。
この有馬記念で初めてタケノホープに先着(着順は2着)したのである。
引退後も競馬の殿堂の顕彰馬に選定(1984年)、リーディングサイヤー(1990年)など存在感を示す。
種牡馬引退後は北海道・新冠町の明和牧場で余生を過ごしたが、2000年5月4日、心臓麻痺により死去した。
【この馬についての感想】
私は実際走っているハイセイコーを見たことがありません。(北海道の牧場では見ました。)
競争成績は他の名馬たちに比べ劣るものの、名馬と呼ばれる由縁はその人気にあったのでしょう。
全国民を巻き込んだこの「ハイセイコーブーム」は一気に競馬の知名度を上げました。
まさに、記録より記憶に残る名馬ですね。
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| ナリタブライアン |
【ナリタブライアン】

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生年月日:1991/05/03
性別:牡
戦跡:21戦12勝
主な成績:
・朝日杯3歳ステークス(G1)・・皐月賞(G1)・日本ダービー(G1)・菊花賞(G1)・有馬記念(G1)・高松宮杯(G1)
調教師:大久保正陽
主戦騎手:南井克己・武豊
馬主:山路秀則
生産:早稲田牧場 |
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【経歴】
現在の無敵の馬といえばディープインパクトが思い浮かぶ。
しかし、ディープが活躍する前に無敵の馬は?と聞かれればたぶんナリタブライアンと答える方が多いだろう。そのくらいこの馬の能力は、ずば抜けていた。
しかし、この史上最強とまで言われたナリタブライアンは必ずしも華々しい競馬人生とはいえない。
デビュー当時から、3冠馬になるまではまさに無敵のクラシックロード。
函館3歳Sこそ6着だったが、皐月賞が3馬身差、ダービーで5馬身差、菊花賞にいたっては7馬身差とまさに無敵の強さを誇る。
そして、その勢いのまま古馬をも圧倒し有馬記念でも優勝。
しかし翌年、天皇賞を目前に控え股(こ)関節炎を起こし、休養を余儀なくされる。
怪我からは立ち直れず、鞍上の乗り変わりもあり、なかなかレースで結果が出せなくなった。
この頃からブライアンに対し、疑問の声が上がるようになった。
最後のレースとなったのは、高松宮記念。
明らかに、スプリンターではないこの馬を1200のレースに使うことに、周囲からは疑問の声が耐えなかった。
結果、4位であり周囲をあっといわせることが出来なかった・・・
競走馬生活の中で後半は華々しい活躍を見せることは少なかった。
このことは、落ち目になったと言うよりは調教師のレース起用が悪いと言った声が多い。
その点が「最強の馬」とまで言われたナリタブライアンにとって、唯一の救いではないだろうか。
【この馬についての感想】
デビュー当時からこの馬の強さには魅了されたものです。
菊花賞を制し、有馬記念を勝った時には「この馬に勝てる馬がいるだろうか?」と思ったくらいです。
ここまでは、現在のディープインパクトの強さとダブるところがあります。
しかし、これ以降のこの馬の使われ方は不可解で仕方ありませんでした。
もう少しベストな条件で使われていたらさらに活躍が出来たのではないかと思います。
もちろん、陣営サイドの思惑もあるでしょう。
一ファンとしては、最後まで「最強の馬」と言われたあの雄姿を見たかったという思いで一杯です。
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ディープインパクト |
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【ディープインパクト】
Photo:(C)Horses.JP
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生年月日:2002/03/25
性別:牡
戦跡:13戦12勝
主な成績:
・弥生賞(G2)・・皐月賞(G1)・日本ダービー(G1)・菊花賞(G1)・有馬記念(G1)・ジャパンC(G1)
調教師:池江泰郎
主戦騎手:武豊
馬主:金子真人
生産:北海道勇払郡安平町 |
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【経歴】 「多くの人々に強い衝撃を与える馬になって欲しい」という思いから名付けられたディープインパクト。
まさにその名の通り、私たちに衝撃を与えた馬であろう。
仔馬の頃は馬体が薄く、神経質な馬だった。
しかし、集団では常に先頭を走っていて、他の馬が走るのをやめても自分だけは走り続けたという。
「ディープは走るのが好き」と騎手の武豊は言っていたが、それはこの頃からもうかがえる。
生涯成績が13戦12勝(中央競馬)と絶対の強さを持つディープだが、その名を全国に知らしめたレースは2戦目の若駒ステークス。
直線一気の5馬身差の勝利であった。
その後、無敗のまま3冠を獲るわけだが、日本ダービーでは単勝支持率最高記録を打ち立てる。
そして、この馬を語る上で欠かすことの出来ないレースが凱旋門賞。
まさにディープフィーバーの最高潮の時であり、NHKでは異例の凱旋門賞の生中継を放送したほどである。
着順は3着、後に禁止薬物による失格というショッキングな結果で幕を閉じたが、ディープの人気は衰えを知らず、次走のジャパンカップでも1番人気となる。
引退レースとなったのは有馬記念で、ディープを一目見ようと11万人ものファンが集まった。
その前で3馬身の差をつける圧勝で勝利し、有終の美を飾る。
最後までファンを魅了するレース振りに、場内からはディープコールが湧き起こった事が印象深い。
引退後は、北海道勇払郡安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬として活動する。
初年度産駒は早ければ2010年にデビュー。
【この馬についての感想】
個人的には後2〜3年は大丈夫と思っていました。
「引退は早すぎる」との声も大変多いですが、私もその中の一人でした。
しかし、レース前に武騎手が記者の「引退はまだ早いのでは」という質問に「自分はディープを無事に走らせることを1番に考えています。」と言う答えに私も胸の痞えが取れたような気がしました。
今後のディープの子供たちの活躍に期待したいと思います。
競馬を始めて15年になりますが、正しく私の競馬人生の中で「最強馬」であることを自負しています。
走ると言うよりは跳ぶと表現されたディープの走る勇姿は強烈に頭の中に残っています。
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| あ |
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